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のんびり温泉案内所

個人レベルのがんばりが観光地を救う - 4合目

第8章 はらぼじ観光が多くの取り扱いができた理由


1994年に経営指針が完成し、同業他社との差別化を明確にしてから取り
扱い数は急伸しました。 
前もって契約をした宿泊施設に限定し、はらぼじ観光の宿泊施設自らが
送迎サービスを行うという宿泊プランの広告代行に業務を絞りました 
(今思うとこの時から旅行業者の資格など捨てればよかったとも考えま
す) 

他社ができること、ましては大手パッケージツアーの代売をしたところ
で一人の人件費も出ない。 
そんなことはすぐにわかりました。 

2000年以降には「相見積もりをしない」という方針も的を得ました。 
旅行業者の登録放棄は徹底した差別化戦略でもあったのです。 

不景気とは従来の商品サービスが飽和状態になり価格競争に陥った時を
いう。 
量と質で競い、薄利多売を追求することが普通の会社がすることですか
ら、従来の商品サービスを扱って生き残るのは業界No.1の会社しかない
のです。 
自動車ならトヨタ、電気製品ならパナソニック(ナショナル)のような
会社です。 
銀行が合併をすすめるのはこの原理によるものです。 
トヨタもパナソニックも海外との競争だと、これから負ける確率は高く
なるのは当然のこと。 
大手銀行が負けるときは日本全体の借金問題が解決できないことが明ら
かになった時です。 

強みだけを残してアウトソーシング(自社の仕事を他社にプレゼントす
ること)し、会社の小ささを維持することも徹底しました。 

本来、旅行会社が行うバスの手配という仕事を宿泊施設に丸投げしたこ
とです。 

お客さん対しては「無料送迎」という言葉でポイントをずらして伝えて
いました。 

こちらからお願いして契約先を増やそうとしなくても、ホテル旅館が向
こうからやってきて私がするべき仕事をしてくれたわけです。 


こういう戦略のおかげで、強制捜査の直後に仕事を休止させることがで
きた、と言うこともあります。 


私と組むホテル旅館が増えた背景です。 
温泉地観光地の客数、客単価の激減。 
今まで広告集客業務を行っていた旅行業者が消えてなくなったこと。 
その2つは業界人ならだれでも知っていますが、違う視点での状況を説
明します。 

当時の小泉内閣の経済政策です。 
金融機関に対しての自己資本比率規制。 
銀行が取引先に貸したままで塩漬けになっているいわゆる不良債権を処
理しないとつぶすぞ、と金融機関に迫りました。 
ほとんどのホテル旅館は「借金」で成り立っています。 
自己資本比率規制によって、今まではお金を貸してくれていた銀行が逆
に急な返済を迫ってきた。 
「貸しはがし」という行為です。 
ホテル旅館は慌てて日銭を追いかけるようになりますが、今まで送客し
てくれていた旅行会社はリストラで消えてなくなってします。 
ホテル旅館の広告と予約の市場は従来の旅行業者からインターネット業
者に手渡されたわけですが、インターネット業者との関係が作れるのは、
施設にお金をかけてきた「立派な」ホテル旅館だけに限定させられまし
た。 

そんな理由で倒産、転売がすすみました。 
栃木県の鬼怒川温泉なんか規模の順に上から5つ6つのホテル旅館の経
営者が交代させられました。 
ホテル旅館は、他人に頼っていたのでは倒産廃業しかない。 

送迎バスでなんとかして自らお客さんを連れてこなければならない、と
いう考えが主流になりました。 

はらぼじ観光はその手助けができる唯一の旅行会社だったのです。 

本来、旅行会社が行う仕事は宿泊施設がみんなやってくれるのですから、
はらぼじ観光は「広告業務」だけに集中できました。 
料金の設定はそれぞれの宿泊施設が自分で決めます。 
日銭がほしいわけですから、他より安く設定します。 
下請け業者と親会社によくある「価格交渉」をすることもありませんで
した。 
そうやって、たいした労力も使わずに、扱い高は数年で10倍になりまし
た。 
役所や協会のようなところから苦情めいた連絡はたびたびありましたが、
現状や「将来」を語れば、「ご配慮をお願いします」「他から問い合わ
せ(非難)があったので立場上連絡した」で話は済んだのです。 

敵意のある「ご指導」は選挙の応援をして以降のことでした。 

小泉内閣の経済指針は、借金をしたままではいけない、というものです。 

借金が財産、という時代から、借金は重荷、という時代に変わったので
す。 


織田信長の楽市楽座という経済政策は有名です。 
織田信長が強かったのは戦争ではなく、既得権者をなくす、という経済
政策があったからだというのが本質的なところでしょう。 
今までの既得権にあぐらをかいていた業者から既得権を奪い取る。 
経営資源を塩漬けさせないということです。 


各温泉地は新しい資本が、借金まみれの宿泊施設を次々買い取りました。 
はらぼじ観光の契約先はそういう背景で新しくオーナーとなった人も数
軒はありますが、ほとんどは借金がそれほどなく、感心するくらいしっ
かり働く小規模な中堅のホテル旅館です。 
お客さんを預けっぱなしで何の指示をしなくても、すべてやってくれま
した。 
感謝しています。 
私を陥れた既得権者達は宿泊施設に、「ああしろ、こうしろ」「安くし
ろ」だけではあきたらず、「自らお客を取るな」とまで言います。 

その現れが「旅行業者の資格がなければ広告、集客、予約という仕事が
できない」という規制です。 

私は既得権者とは反対にホテル旅館の立場に立ちました。 

経済環境の厳しさと金融機関の自己資本比率規制が背景にあって、
はらぼじ観光は急伸しました。 


話は飛びます。 
シャッター通り、前橋市街地の衰退ぶりは全国一の様相です。 
シャッターを下ろしたままにしておく店の持ち主。 
店を開いたところでお客さんはいないのだから店を開かないのでしょうが、
だれかに売ったり貸したりするより、そのままにしていた方が金銭的に楽
なのだ、ということを聞きました。 
そのままにしておけない状態を壊すこと、経営資源の移動を強要すること
で市街地が活性化することができるのではないでしょうか。 

小泉政策ではないですが、過去の価値観、過去の財産、既得権というもの
を否定してみる。 
そのことによって経済は活性化し、指導者としての人気も高くなる。 
そういう現象は織田信長の時代も今も変わらない。 
織田信長が残酷な人間で力づくで支配したというイメージは歴史の「ねつ
造」に見えます。 

資格がなければ単純な予約の代行もさせないなどという江戸時代並みの
規制。 

そんな規制がまかり通れば、観光産業の発展など望みようもありません。 


個人レベルのがんばりが
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