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個人レベルのがんばりが観光地を救う - 4合目

第13章 災害と観光産業の関係


震災と自分の仕事についての関係について考えてみます。
意識しはじめたのは1995年の阪神淡路大震災からです。
それまでは「自分が一人でがんばればどうにでもなる」という意識しか
持ち合わせていなのですが、はらぼじ観光を設立し、環境と自社の関係
についての考えなしではやっていけないという意識を持った頃です。

まず、阪神淡路大震災の時は、震災地を訪れることは「不謹慎な行為」
と言われました。

2004年、中越地震には直接かかわりを持ちました。
震災直後には100以上の団体のキャンセル。
キャンセルへの対応が一段落した後は長岡の事務所を拠点にして9割の
避難所を直接尋ね歩きました。
被災者が取引先のホテルに泊まってもらう、というボランティア活動を
試みたのです。 
東日本大震災とは様相が違って避難所にいた人はたとえ自分の家が壊れ
ても「自分の家の近くにいたい」という心境がほとんどでした。
実際、無料で宿泊してもらった人は100人にもなりませんでした。
車で1時間圏内のホテル旅館がお風呂に入りにきてもらう、というボラ
ンティアは多くの人の役立つものだったようです。
被災者を泊めることへの対価は1泊5000円が中越地震でも東日本大震災
でも相場のようです。
ホテル旅館には役所が被災者に代わって支払ってくれます。

意外だったことはお客さんが全くなくなっても観光地の経営者はジタバ
タしないのですね。
理由をいえばモラトリアム(支払い猶予令)です。
震災だから銀行は平常時よりも簡単にお金を貸す。
借金は返さなくてもよいわけです。
よって、8章で書いた小泉施策のような自助努力という考え方が消えて
なくなる。

中越地震の翌春には「新潟キャンペーン」と称して、新潟への送客に集
中しました。
新潟県内の取引先にいわせると「募集ものを扱う大手旅行会社は、やっ
ても集まらないから新潟の企画は避けること」。
その話を聞いて、「はらぼじ観光は他社の逆をやろう」と新潟へ集中送
客しました。
寺泊の海産物店は「はらぼじ観光のお客さんしかいない」とまで言って
くれました。
そこそこの数を送ることはできましたが、その後、拍子抜けした気持ち
になってしまいました。

中越地震から3年後の2007年の中越沖地震。
そのような理由で長岡には無人の事務所、転送電話での仕事となってい
ました。
よって直接的な痛手はありませんでした。
風評被害には敏感だったので、マスコミ各社に風評被害を起こさないよう
お願いするメールをを2、3日の間、送り続けました。
私のお願いのせいかどうか、テレビ朝日のニュース番組だけが柏崎市を赤
く囲んだ地図を示して、「被害地の特定」を伝えてくれ
たことはうれしかったことです。


大災害と観光産業の関係を3つの視点で考えてみます。
1つ目の視点は風評被害の大きさと風評被害に対して何の抵抗もしない
観光産業のかかわる人達の存在です。
中越地震では生活に支障を来す直接的な被害は中越地方に限定されてい
ました。
物理的な被害のなかった下越、魚沼、上越地域。新潟県全域が被災地な
のだという認識を他県の人は持たされることになります。
これは「危ない、危ない」としか言わないマスコミの報道が原因でしょ
う。
大地震でなくても、台風や大水の報道、河川の決壊や土砂崩れなど、危
ない場面の映像が度重なりテレビに映し出される。
直接の被害のない観光地も地域名が同じだということで、お客さんは心
配ばかりします。 
そして旅行を延期や中止をします。
お客さんは電話一本で済む問題かもしれませんが、受け入れや私たち業
者は、収入が途絶えます。

2つ目の視点は、大震災という非常時には人を遊ばせるような仕事、娯
楽や観光の仕事は、ないがしろにされるということです。
確かに人命や衣食住の確保が緊急の課題なのでしかたがないことかもし
れません。
しかし、そのままでは将来的に観光産業従事者はいなくなってしまいま
す。

3つ目の視点は、大災害の被害を被った地域は社会主義国化するという
ことです。 
金持ちも貧乏人もなく、緊急時の「指導者」の命令一つでみんなが行動
を共にしなければ命がなくなってしまう。
だから、これもしかたがないことかもしれませんが、それで既得権者が
ますます権力を強めたら、自由という概念が消えてなくなってしまいま
す。
社会主義化する地域は限定しなければなりません

今回の東日本大震災で観光産業はどうなっているのでしょう。
福島県、特に会津地方にははらぼじ観光の取引先、ホテル旅館数軒、ド
ライブイン観光施設も数軒あります。
群馬県全体での契約先の数よりも多い数です。

まず、風評被害についてです。
会津地方は地域全体が壊されるまでの被害はなかったようでした。
しかし、風評被害が深刻になることの予測はつきました。
会津の取引先を並べて放射能値が栃木県などよりも低いという内容の広
告をしました。 
しかし、これもすっかり拍子抜け。
中越地震でもあったモラトリアム(支払い猶予)と補助金助成金の類を
取引先が受けとることで、風評被害対策をしなくても済む状態になった
からです。
家族経営の食事の施設でも千万単位の補償金が支払われました。
阪神淡路大震災、その後の経済状況を研究した学者先生によると、震災
直後の企業の倒産数はそれほどでもなかったそうです。
震災から数年後の企業の倒産数が極端に多くなりました。
「震災バブル」という言葉が示すとおり震災直後は観光産業のような一
部の産業を除いて仕事は急増します。
しかし自らが差別化して作りだした仕事ではないので、震災バブル崩壊
と同時に仕事がなくなってしまうのです。
この先、震災需要がなくなった時にどうなるのかを考えてほしいもので
す。

次に観光産業のないがしろの問題です。
宮城県は震災バブルが目に見えている一番の地域のようです。勢いに任
せて海岸線全般を高さ10メー
トルの防護壁で囲むとか。地域の景観、観光客が望むものは無視されて
います。
将来の観光産業はどうなるのでしょうか。

社会主義国化の傾向なのが一番恐ろしい。
観光産業もないがしろにしてはいない、という意味で被災者をホテル旅
館に補助金で泊まってもらう。
その仲介をした旅行業者にもリベートが入る。
福島でやっている助成制度と聞きました。
「補助」がなくなった時に補助金をもらった業者が消えてなくなるのは
目に見えています。
震災下で新しい仕事を作った経験はないので偉そうにはいえませんが、
不景気で新しい仕事を作った実績はあります。
新しい環境だからこそ、新しいビジネスモデルが生まれる。
補助や助成、規制ばかりしていたのでは、新しいビジネスモデルは出て
きません。
財政赤字ばかり増えて、自助努力で仕事を作り出す人がいなくなる。

震災が怖いのではなく、震災の後の既得権者達の「金」の使い道で、全
体が悪くなっていくのが怖いことだと思います。

東日本大震災がなければ、はらぼじ観光被疑事件はなかったかもしれま
せん。 

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