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個人レベルのがんばりが観光地を救う - 4合目

第11章 小企業の差別化戦略と規制


中小企業家同友会という経営者団体で多くのことを勉強することができ
ました。
一営業マン、個人事業主であった私が(こうなったとはいえ)金銭的な
苦労もなく一つのビジネスモデルを構築できたのはこの会での勉強のお
かげだと会のみなさんには感謝をしています。

オンリーワンを目ざし、他社との違いによって経営戦略を立てる。
こういう考え方は同業者の会や既得権者の息のかかった会では勉強でき
るところはないと思います。
常に右か左か上か下かの選択を迫られ、それを自分だけで決める時には、
人がしないことへの方向に行きました。

私と敵対する既得権者達とは正反対の考え方です。

既得権者の中でエリートと呼ばれる人は、多くの人が向かう方向を選び、
同じフィールドで戦う。
そこでの競争に勝ち抜くことができた人。
総合的な能力、特に学校の勉強のようなものの能力が高いからそれで通
用した。
そのエリートが有利に生きられるためのしくみをこの先も通していくと
すると、多くの人が不幸になっていくと思います。

医者の会が「医者が増えすぎるのは良くない」といっているのを聞くと、
医者の職業倫理って何なのかと疑問を感じてしまいます。
そのエリート達に言ってやりたい。
いつかはエリートでなくなるときがだれにでもやってくるはずです。

中小企業家同友会の提唱によって、中小企業憲章という法律ができまし
た。
群馬同友会でこの憲章の必要性を2年ほどかけて勉強したのでその内容
をまとめます。 

大企業や役所ではなく、小さな会社の繁栄を優先させることが日本を良
くする。
役所優先は過去も未来もあるはずはないことでしょうが(たっぷりと皮
肉を込めて)、大企業優先の時代は長かったようです。

戦後の高度経済成長。
終戦後の日本は経済力が世界でも最低ランクだった。
1980年代、例え短い時期でもアメリカを抜いて世界一の経済力になった
時がありました。 

半世紀もたたない短期間で最低からトップの経済力の国になった。
世界史の上でも例のない特別特異な現象が起きました。
日本のこの経済力ごぼう抜きの理由を並べることから、なぜ中小企業憲
章なのかを考えてきました。

ごぼう抜きの要因1
仕事でがんばれば、マイカー・マイホーム、自分(達)の欲求を満たす
ことができるという目的意識を持って、多くの人がいっしょうけんめい
働いた。

ごぼう抜きの要因2
底辺の学力レベルが元々世界トップクラスだった。
学力の内容は軍隊的な教育によるもので、2次産業、主に製造業の担い
手としての能力の高い労働力が十分にあった。

ごぼう抜きの要因3
人件費が欧米先進国より低く産業製品の価格競争力に反映することがで
きた。

ごぼう抜きの要因4
東西関係。
日米安保条約。
自由主義経済の見本市としての国際的に経済的繁栄が認められていた。

結果、気楽といわれたサラリーマンでも退職金で家が買えるような、こ
れも世界に例のない特別な現象も起こりました。
今はこの4つの要因すべてが該当しないのですから日本全体の経済力が
上がることもないし、裕福なサラリーマンという階層もいなくなります。
大企業が利益を求めて多国籍化していくのは自然なことで、一人一人の
人間の暮らしを優先することなどはありません。

反面、小企業は社員や取引先の人々が地域で生活するのと並行して仕事を
すすめることが不可欠なので、その小企業が元気でなければ人々の暮らし
は成り立たない。
という訳で中小企業憲章となるわけです。

私の事件の例をとってみても、

・天下りの組織が、観光地経済の活性化に貢献してきた私の仕事を葬りさ
ろうとしている

・小さなバス会社が営業しずらい取り決め

利権集団が、小さな会社と小さな会社のネットワークに対し妨害行為をし
たものと、はらぼじ観光被疑事件を位置づけることもできます。


経済力が世界で20位になろうと50位になろうと、悪いことばかりではない
と思います。 

要は同じ法律の縛りでやっていこうとすれば無理がくる。
もう他人が持っているものをほしいとは思わない。
一人の子供が祖父母の家2軒以上を引きつがなくてはならないし、車もテ
レビも何もかも物に不足はありません。
当然出てくるのがニーズの多様化、価値観の多様化、という現象です。
ニーズの多様化に応えられるのが小企業であり、市場規模の大きなものし
か取り扱えない大企業ではニーズの多様化に応えることはできません。
新しいこういうニーズが生まれるはずだ。
新しく生まれるであろう市場を待ち伏せしてつかまえることが市場創造で
す。
市場創造するためには会社は小さければ小さいほど有利なのです。

従来の仕事をお年寄りのグループ作りのためになる商品に変えていく、
という戦略で仕事を変えていきました。
「問屋抜き」はどの業界でも当たり前の現象ですから、お客さんと宿
泊施設が直接つながるシステムにしていきました。
違う戦略が功を奏して、お客さんの支持と商品提供先である宿泊施設の信
頼を得たのです。

旅行業者の立場を捨てる。
そして新しい仕事をする。
そういう意味での資格許認可放棄だったのです。

人の物を奪い取る気もない、だます気もない、ましては人に危害を及ぼす
気など全くないのです。
犯罪呼ばわりされる筋合いはありません。

ニーズの多様化に応えるために、古い規制がじゃまなのです。

商品サービスの値段は下がるのが当たり前で価格競争に勝ち抜くためには
会社を大きくするしかない。
その競争に勝ち抜ける能力のある経営者は何人もいません。
差別化して新しい市場の芽を育むこと。
そういうことが小企業の経営者の仕事で、この考え方で経営すれば成功の
確率は高くなります。

既得権者の妨害に会いさえしなければ ・・・・・・ 

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